BLOG

ウォーキングブログ

めちゃくちゃ怒ってます!

初めて日本代表に選ばれたのは1995年ワールドカップ競歩でした。

24才にして初めての代表です。

1990年代の日本の競歩は世界的にも弱く、出場枠は3名あったとしても

派遣されるのは多くて2名程度、普通は1名

つまり、かなりの狭き門でした。

ですので、代表になる、というのは本当に大変なことでした。

そして、1995年~1997年まで日本選手権を3連覇するも

日の丸を背負えたのは、1回だけ。

 

日本選手権を3連覇したのに1回だけです。

 

当然、日の丸をを背負うことへの願望は、願望というレベル越え

「執着」といっていいレベルになりました。

 

24才で初の「日の丸」、

次に日の丸を背負うのに3年以上掛かりました。

 

そして、日の丸を背負ったときに、結果を出さなければいけない

という事の重さは相当なものでした。

その苦労が、世界陸上入賞やアジア大会銅メダルにつながったと思います。

 

日の丸を背負うということは

日本を代表しているという「誇り」

日本を代表しているという「責任」

これは。お金では買えない、何よりも得難く、尊いことでした

 

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6294107

そんな、私からみると

今回のアジア大会バスケットボール選手の一連の不祥事は

蛮行・愚行・暴挙、どんな言葉を使っても足りないものです。

 

社会奉仕をして反省しました。

はい、復帰します。

なんてレベルで許される問題ではありません。

 

もし、彼らが一生競技に戻れなかったとしても

同情する気にはなれません。

 

 

 

Follow me!

関連記事

  1. 「走れなくなったから、歩くのは出来るようになりたいから」78歳女…
  2. 半月内側断裂でも、競歩なら膝への負担も少なく、速く歩くことも、ラ…
  3. Vol.1 脳卒中で片麻痺の方との対談 病気は誰しも突然なってし…
  4. お疲れ様でした! オーバーナイトウォーク 幻の東京五輪マラソンコ…
  5. 競歩を引退した選手、サブ3でマラソンを走る…のに困る
  6. 大坂なおみ選手の快挙、日本人の快挙にガッツポーズでました!
  7. 片麻痺でも、身体を動かすことで、心身の健康を保つ
  8. 黒人トップアスリートの走りの秘密、東京マラソンが変えた景色から見…
<<
PAGE TOP