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マエストロ ジョルディリョパルトを想う①

今の競歩日本の躍進の原動力になったジョルディ・リョパルト氏(モスクワ五輪銀メダリスト)が

永眠されました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO05351580Y6A720C1UU8000/

 

今日の朝、スペインの友人から連絡来て関係各所に連絡をしました。

どの関係者も寝耳に水だったらしく。

コロナ禍でしたので心配はしてましたが、コロナではなく「心臓発作」とのことでした。

 

個人的なことになりますが、忘備録として

ジョルディ氏と思い出を少し書いていきたいと思います。

あくまでも柳澤の記憶を頼りに書くので、周りの関係者の方と

記憶違いがあるかもしれませんが、その辺はご容赦を。

 

実は、彼のコーチをずっと受けていたことがあり、自分の指導していた選手も

ジョルディ氏の合宿とさせて頂いたりしてました。

 

現強化部長の今村さんだけではなく、

一番最初は園原さん(50㎞競歩五輪代表)、酒井さん(20㎞競歩五輪代表・元日本記録保持者)、原さん(50㎞競歩日本代表)

など、競歩の国際化に向けた礎となった選手はジョルディ氏と深く関係しています。

 

最初にお会いしたのは、1995年の全日本競歩高畠大会だったと思います

1992年のバルセロナ五輪の金メダリスト:ダニエル・プラサのコーチとして

ティノ・ルイス選手を連れて来日されたと思います。

そのときに確か池袋だったと思いますが、食事会があってそこに呼ばれた記憶がありました。

 

まだジョルディ氏も選手引退して間もない頃で、現役バリバリな感じでジェントルマンでした。

まだメダリストが身近でなく、眼の前に競歩のメダリストがいることに興奮したことを今でも覚えています。

 

当時は海外で合宿となると、メキシコ合宿が主流だったのですが

金メダリストのいるスペインで合宿したい、っと当時の強化部長だった園原さんに話したところ

ジョルディに自分で電話してお願いして頼んでみなさい、サポートしてあげるから、

とのことでした。

 

ろくに英語も喋れないのにスペイン語で合宿となるのは、、、っと

酒井さん、原さんと行くことになりました。

五輪直前でのほとんど前例の無い地での合宿で、

原さんは「原さんそれはねぇ(スペインにいくこと)、どぶにお金を捨てに行くってことなんだよ」

っと言われたそうな(笑)

 

こうして、我々は1996年1月、スペイン・バルセロナの郊外、CANET DE MAR に合宿に行くことになりました。

 

続く

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